超音波節で一世風靡した照喜名照美。戦後は、手を触れず音を奏でる電子楽器テルミンを駆使して、電気島唄を確立すると共に、テルミンの超音波技術を活かし、駐留米軍と電子レンジの開発にも携わる。歌で心を癒すだけでなく、食糧難の沖縄の人々の胃袋にも尽くした。電子レンジの大量生産と共に、宇宙食として開発されていたレトルト食品を、一般庶民の保存食として広く普及させた。
照美のボンカレーは今でも多くの人に食されている。超ロングセラー商品である。
因に、今では広く使われる言葉「レンジでチン」とは、照美のセカンドアルバムに収録の『レンジヌチントゥンテン』に由来する。
『レンジヌチントゥンテン』
「レンジでチン!」の語源とも言われる名曲。実際のレンジのタイマー音を取り入れた試みは世界でも初めてのこと。
超音波技術で電子レンジの開発に携わった照美は、米軍の資本を上手く利用して沖縄の知的財産を生み出す事に成功したのだが、それを良く思わない者もいた。そこで、軽快な電気島唄に乗せて大衆に流行させる事で、超音波食品の普及を、いっそう促進させた。近年、彼女の先駆的な活動が再評価されている。ミックスカルチャーとブランディングのお手本として経済書で紹介される事もしばしば。
超音波技術は殺戮兵器から“人を活かす”技術へと生まれ変わった。
祖母、照喜名ウタの教えの通りに…。
祖母、照喜名ウタの教えの通りに…。
『ヒヤサッサハイウェイ』熱、冷めやらぬ!
未だに居ますね〜、照美命!の青年が。
ヒヤサッサハイウェイは演歌好きにもハードロック好きにも、
ウケるんだよなぁ。
やっぱ面白いよね〜
電気島唄は!
ヒヤサッサハイウェイは演歌好きにもハードロック好きにも、
ウケるんだよなぁ。
やっぱ面白いよね〜
電気島唄は!
幻のRBCクロージング『ムーンライト・ナンタハマ』
超音波技術は沖縄の放送業界の正に祖である。現在の様に放送局が分社化する以前は、大琉球電波堂という琉球政府と駐留米軍政府の公社であった。
アジアでも初の総合電波塔(ラジオ・テレビの混同放送)からの電波放送を記念して作られた『ムーンライト・ナンタハマ』は、当時リージョンクラブで名を馳せた照美のジャズバンド『テルミテルキナ・カルテッド』のオハコナンバーで、将校と島ガール達のチークタイムを彩った。
現在でもRBCのクロージングでかかるおなじみのあの曲だが、テルミンだけが省かれている。当時、照美の親米的な復興活動を良く思わない者も多く居たため、それに配慮して、テルミンなしのトラック『ナンタハマ』が使用されたという話だ。
麗しの照美のテルミンは月光の下、妖艶に歌う黄泉のハミングとでも言おうか…。なんともったいないことか!断然テルミンありのトラックがいいのに。
大変貴重なアメリカ版のLPジャケットから、照美の美貌と共に想像あれ。
テルミンのないバージョンのRBCクロージング『ナンタハマ』
<リージョンクラブにて。将校夫人のミッキー銘苅女史と。>
全米震撼!アメリカ版、超音波節『スーパーソニック・スウィング』
照美の全米デビューは日本ではあまり知られていない。アメリカ版超音波節『スーパーソニック・スウィング』は、3拍子にアレンジされた超高速のスウィングジャズで、当時のアメリカの若者達を魅了した。後の『S/S/S』というダンスカルチャーへと発展する。(ロックの源流ではないかという説もあるが、『S/S/S』は現在のダブステップへと発展して行く。)
若者達は『S/S/S』とドラックに酔いしれ、アメリカ経済は大きく揺れた。
LIFE “TERUMI TERUKINA”
日本人として初めてLIFEの表紙を飾った照美。レス・バクスター、マーディン・デニー、アーサー・ライマン等と共に、植民地から発祥した新たな音楽“エキゾティカ”の流行を引率した。更に彼女は、音楽を通して、テクノロジーと平和の未来を説いた文化人でもあった。
「私の歌は波なのです。言葉や文化を超越して歌う、電子の歌です。やがて私たちは時間や空間を越えて、楽器を奏でる時代が来ます。世界中が一つの曲を奏でる様に、深く関わり合い、美しい波の一部となるでしょう。その時、争いは無くなる…。私がテルミンで歌う度、そう思えてなりません。」
1人の少女が時代を変えたかもしれない...。
電気島唄の名手、照喜名照美の知られざる過去。
サイレントムービー
『照喜名照美数奇な人生』
この物語は、事実ではありません。
架空という真実です。
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