2014年9月16日火曜日

照喜名照美シーズン2『電子歌姫伝説』

シーズン2の、その前に照喜名照美シーズン1『超音波節』へ

沖縄発!超音波食品
超音波節で一世風靡した照喜名照美。戦後は、手を触れず音を奏でる電子楽器テルミンを駆使して、電気島唄を確立すると共に、テルミンの超音波技術を活かし、駐留米軍と電子レンジの開発にも携わる。歌で心を癒すだけでなく、食糧難の沖縄の人々の胃袋にも尽くした。電子レンジの大量生産と共に、宇宙食として開発されていたレトルト食品を、一般庶民の保存食として広く普及させた。
照美のボンカレーは今でも多くの人に食されている。超ロングセラー商品である。
因に、今では広く使われる言葉「レンジでチン」とは、照美のセカンドアルバムに収録の『レンジヌチントゥンテン』に由来する。







『レンジヌチントゥンテン』
「レンジでチン!」の語源とも言われる名曲。実際のレンジのタイマー音を取り入れた試みは世界でも初めてのこと。
超音波技術で電子レンジの開発に携わった照美は、米軍の資本を上手く利用して沖縄の知的財産を生み出す事に成功したのだが、それを良く思わない者もいた。そこで、軽快な電気島唄に乗せて大衆に流行させる事で、超音波食品の普及を、いっそう促進させた。近年、彼女の先駆的な活動が再評価されている。ミックスカルチャーとブランディングのお手本として経済書で紹介される事もしばしば。
超音波技術は殺戮兵器から“人を活かす”技術へと生まれ変わった。
祖母、照喜名ウタの教えの通りに…。







『ヒヤサッサハイウェイ』熱、冷めやらぬ!
未だに居ますね〜、照美命!の青年が。
ヒヤサッサハイウェイは演歌好きにもハードロック好きにも、
ウケるんだよなぁ。
やっぱ面白いよね〜
電気島唄は!









幻のRBCクロージング『ムーンライト・ナンタハマ』
超音波技術は沖縄の放送業界の正に祖である。現在の様に放送局が分社化する以前は、大琉球電波堂という琉球政府と駐留米軍政府の公社であった。
アジアでも初の総合電波塔(ラジオ・テレビの混同放送)からの電波放送を記念して作られた『ムーンライト・ナンタハマ』は、当時リージョンクラブで名を馳せた照美のジャズバンド『テルミテルキナ・カルテッド』のオハコナンバーで、将校と島ガール達のチークタイムを彩った。
現在でもRBCのクロージングでかかるおなじみのあの曲だが、テルミンだけが省かれている。当時、照美の親米的な復興活動を良く思わない者も多く居たため、それに配慮して、テルミンなしのトラック『ナンタハマ』が使用されたという話だ。
麗しの照美のテルミンは月光の下、妖艶に歌う黄泉のハミングとでも言おうか…。なんともったいないことか!断然テルミンありのトラックがいいのに。
大変貴重なアメリカ版のLPジャケットから、照美の美貌と共に想像あれ。

テルミンのないバージョンのRBCクロージング『ナンタハマ』




<リージョンクラブにて。将校夫人のミッキー銘苅女史と。>






全米震撼!アメリカ版、超音波節『スーパーソニック・スウィング』
照美の全米デビューは日本ではあまり知られていない。アメリカ版超音波節『スーパーソニック・スウィング』は、3拍子にアレンジされた超高速のスウィングジャズで、当時のアメリカの若者達を魅了した。後の『S/S/S』というダンスカルチャーへと発展する。(ロックの源流ではないかという説もあるが、『S/S/S』は現在のダブステップへと発展して行く。)
若者達は『S/S/S』とドラックに酔いしれ、アメリカ経済は大きく揺れた。
これは照美の勝戦国アメリカに対する甘美な報復なのだろうか…?今となっては誰も知る由はない。我々は国も人種も関係なく、照美のテルミンという媚声に、ただただ身も心も振るわせるばかりなのだ。






LIFE “TERUMI TERUKINA”
日本人として初めてLIFEの表紙を飾った照美。レス・バクスター、マーディン・デニー、アーサー・ライマン等と共に、植民地から発祥した新たな音楽“エキゾティカ”の流行を引率した。更に彼女は、音楽を通して、テクノロジーと平和の未来を説いた文化人でもあった。
「私の歌は波なのです。言葉や文化を超越して歌う、電子の歌です。やがて私たちは時間や空間を越えて、楽器を奏でる時代が来ます。世界中が一つの曲を奏でる様に、深く関わり合い、美しい波の一部となるでしょう。その時、争いは無くなる…。私がテルミンで歌う度、そう思えてなりません。」







1人の少女が時代を変えたかもしれない...。
電気島唄の名手、照喜名照美の知られざる過去。
サイレントムービー

『照喜名照美数奇な人生』





この物語は、事実ではありません。
架空という真実です。




照喜名照美シーズン1『超音波節』へ

2012年8月11日土曜日

赤い迷彩服:'AKAU CLAW

LOOCHOO at AKARAに出品している、LEQUIOSIANの作品です。



 世界で唯一の海遊民である琉球民族(LEQUIOSIAN)は、武器を持たない交渉の民として知られているが、人知れず“赤装束”をまとい、武力を行使する隠れた戦闘民族であった事はあまり知られていない。俗に『赤い迷彩服』といわれる戦闘服を着て、笠、覆面、手袋、足袋で全身を赤く覆った『アカウ・クラウ』という赤い忍びが実存したと考えられている。空が赤くなり、辺り一面夕焼けで真っ赤に染まる『マ・アカラ』といわれるわずかな時間(約1分間)『赤い迷彩服』は、人間の目で可視認識出来なくなり、完全に姿が見えなくなる。台風の前後の夕焼けは更に『マ・アカラ』の時間が長く、最長約15分間は何人たりとも、赤い忍びを見つけ出す事が出来ない。赤い闇に乗じて姿の見えない隠密が、様々な忍務を遂行していたと考えられている。

『赤い迷彩服』の忍び達はなぜ、赤装束で『マ・アカラ』の時間だけ活動したのだろうか。それは彼等の自然観、宗教観によるとされる。夕紅の赤が諸行を赤色に染め、血の赤色が色を失う、赤は赤の中にあっては赤でない…彼等はそう考えたのではないだろうか。戦い、すなわち血を好まない琉球民族は、自らを守るために夕紅の赤に隠れ、神の目を欺き血を流したのかも知れない、だが、確かな事は未だ解っていない。

黄昏時の事を沖縄の言葉で“アコークロー”といい、物の怪の世界とこの世の入れ替わる境界線とされる。その“アコークロー”とは、夕紅に暗躍した琉球民族の赤い忍び『アカウ・クラウ』を語源としていると考えられている。(※実際のマ・アカラの時間とはズレがある)さらにその意味については、他言語民族特有の言葉から読み解く事が出来る。環太平洋の文化と深い結びつきがある琉球民族だが『アカウ・クラウ』も、ハワイ言語の『'AKAU CLAW:右手の爪』と共通性がある。琉球民族古武術の“ディー”の最も古い伝記によると、“ディー”ではけして拳は握らず手刀攻撃で瞬殺せしめる事が出来たと伝えられており、非常に鋭いカミソリの様な爪を生やしていた事が最近の研究で明らかになった。『アカウ・クラウ』の武器が発見されなかったのは、身体自体が全体が武器だったからなのだ。

まるで野生の獅子の様に重く鋭い爪が、音も立てずに忍び寄る。赤い闇に盲目な我々にはけして見る事が出来ない、幻の赤い爪『アカウ・クラウ』。


2012年6月3日日曜日

ぽろゆしっぽいゆし

ぽろゆしがだいぶ定着してしました。
足掛け3年でようやく定番アイテムとして
今後も継続して行けそうです。

ありがとうございます!

そして予想通りぽろゆしのパクリ
(パクリと言うと語弊もありますが、明らかにぽろゆしから着想したであろう兄弟アイテムというつもりです)
が出て来ていますね。
大歓迎です。
ウチもぽろゆしパクリたい(作りたい)っていう方は
連絡下さいと待っていたのですが、
同業者の方でそういう申し出は
さすがに無かったですね。
ぽろゆしは我々の商標なので使用で来ませんが、
相談に応じて志しさえあれば、
一緒にモノづくりする気構えはあります。
やっぱ、いないかそういうイケイケなとこ。
でも、ぽろゆしっぽいアイテムは出てきますよね。
それらの派生アイテムを愛着を込めて

ぽいゆし

と呼ぶ事にしています。
ぽろゆしっぽいので、ぽいゆしです。
皆さんもおぼえておいてね。

そうやってこのムーブメントを歓迎したいのです。
僕達の目的は

“沖縄ファッションの新たなムーブメントを起こす”

ことなので、今はまだ成長過程です。
大事に育てるためには商標を取ったり、
戦略的なブランディングが大事です。
「その辺のスキルが沖縄にはカケている」
なんて、よく言われますが、
僕達は違います。
知的財産こそ真の資源だという信念で、
沖縄の風土を存分にデザインしています。
それが33年の歴史を誇る我らが
HabuBoxなのです。

さて、みなさんもぽろゆしだけでなく
ぽいゆしもまるごと、
沖縄の新たなムーブメントとして
かわいがってやって下さいね!

ぽろゆしは既に来年の企画に向けて動き出しています。
またみんながワクワクする様な、
新たな展開用意しています!

お楽しみに!!

これが元祖ぽろゆし。企画当初はあちこちに提案しましたが、かるくあしらわれた感じでしたね〜。でも実績をちゃんと積んで、今では大手とコラボ出来るまでに成長しました、良かった!!

イノベーションはいつも尖ってて、それが少し摩耗してから受け入れられる。ぽろゆしも最初はかなりモード的なアプローチで生み出されました。テキスタイルは我が父ボクネンの描き下しの画です。まさに海遊の民の装い!


この元祖ぽろゆしはLEQUIOSIANのもので、県内縫製です。生地も日本のメーカーのものを使用し、テキスタイルプリントも自社製です。価格は当然¥10,000クラスです。ぽろゆしは県産品じゃないじゃなないか!と、いちゃもんを付けて来る人もいて、その気持ちもよく分かりますが、我々はお客さんのニーズに合せて、モノづくりをしています。県産でも海外産でも適正な価格と付加価値を届け、顧客の皆さんに“良い買い物をした”と思ってもらいたいのです。だから、ウチではお客さんが選べます、県産の高付加価値なものも中国産の低価格なものも。
因に、この写真はモジャモジャになるまえの僕です。写真のロケであるAKARAでLEQUIOSIANの元祖ぽろゆしは取り扱ってます。マニアはそちらも是非!




2011年10月1日土曜日

ずっとこのアイコンを胸に!目標¥100万達成

2011年4月28日からHabuBox(ハブボックス)と浦添工業卒業生『MAMOYA』で行った東日本大震災チャリティー企画『icon-T 2011』が一旦区切りを迎えました、お礼とご報告です。

美浜ウォーターフロントにある新施設『AKARA・アカラ』内にある
AKARAギャラリーで開催した『MAMOYA』の歴代Tシャツのチャリティー展示即売会と、『HabuBox』と『MAMOYA』によるコラボTシャツのチャリティー販売をHabuBox全店で行い、私共の目標である義援金額¥100万円に到達する事が出来ました。





皆さん本当にありがとう!!


【義援金の内訳】
MAMOYA歴代チャリティーTシャツ
総売れ枚数 169枚  義援金 ¥169,000
HabuBox×MAMOYAコラボチャリティーTシャツ
総売れ枚数 1141枚  義援金 ¥900,000

TOTAL枚数 1310枚  総合義援金額 ¥1,069,000









『MAMOYA代表:大城 守 / icon-T 結 デザイナー:与那嶺利菜』


東日本大震災からはや5ヶ月が過ぎ、いまだ様々な問題が残る中、被災地の子どもたちを沖縄へ迎え入れて文化交流をしたりと、
少しずつですが穏やかさも戻りつつあります。
今回、私たちが行ったチャリティーイベント「icon-T 2011」ですが、多くの皆様のご協力のお陰で、目標金額であった100万円に到達致しました。
「icon-T 2011」では、『自分たちのできる「デザイン」と、いう形で、復興へのお役に立てれば。』と、活動してきました。
このひとつの想いが、こんなにも多くの方々と共有できたことを、とても嬉しく思います。
この企画は、私たちだけではなく、たくさんの方々とのつながりを経て実現できたものであり、私たち自身、『デザインすること』だけでなく、
『人の為に行動する』ことの大切さを、改めて強く感じることができました。
ひとつひとつの小さな『想い』が、みんなで協力すれば、こんなにも大きな『想い』に変わるということを肌で感じることができました。
この企画に賛同して下さったHabuboxの名嘉様をはじめとするスタッフの皆様、メディアの皆様、各ショップまで足を運んでいただいた皆様、
関係者の皆様に心から感謝申し上げます。
義援金が無事に被災地で役立ってくれることを祈っております。本当に有難うございました。 





東北岩手出身『icon-T ringo デザイナー:オガサワラチグサ』

雪が降り凍えるような寒さの3月から約半年がたちました。
暑い夏が過ぎ、実りの秋を迎えようとしています。
GWに行われたAKARAギャラリーでの展示販売には残念ながら私は沖縄におらず
立ち会うことはできませんでしたが多くの方が来場し、
このチャリティーに賛同してくれたことを聞き嬉しく思いました。
アイコンTシャツをいつまでも着てもらえたらいいなと思います。
最後になりましたが皆様にご協力いただき本当にありがとうございます。  




『HabuBox  アートディレクター:名嘉太一』

icon-T 2011プロジェクトが目標を達成し、一区切りをむかえる事が出来ました。
このプロジェクトを通して、icon-T(アイコンTシャツ)をお買い上げいただき、支援いただいたお客様全員に感謝の気持ちでいっぱいです。
悲惨な過去は思い出したくないだろうと思いますが、リンゴのアイコンの“笑顔”と結いのアイコンの“縁”は、けして忘れたくない宝です。
今回はこのプロジェクトを通して、社会に対し自らが出来る事、その和、そして行動する事、それをデザインで形にする事、我々は多くの事を学びました。
遠くは慣れた沖縄から、被災地が力強く復興することと、希望に満ちた未来を勝ち取る事を願っています。
これからも、ずっとこのアイコンを胸に…










2011年9月23日金曜日

超音波節:照喜名照美

皆さんはご存知でしょうか?照喜名照美。僕が今もっとも心奪われている電気島唄の照喜名照美とは…



テルミネーネーの愛称で親しまれた照喜名照美の貴重なデビューアルバム『超音波節』。アルコール(泡盛)を燃料に発電し、手を触れずに音を奏でるテルミンは沖縄の大衆の注目の的だった。女性が歌っている様な独特のテルミンの音色は照美の美貌と相まって、特に男性達を魅了した。ソングライターとしても数多くの名曲を残している照美だが、曲のテーマは独特で異国情緒のあるものが多い、稀に民謡や古典のカバーもしていたようである。

【超音波節:照喜名照美】
1.ロシア仇討ち
2.ポリネシアサッサイ
3.宇地泊口説
4.清らさフイリピン
5.超音波節
6.朝鮮小唄
7.支那の夜恋しや
8.ウチナー美兵
9.台湾牛飼い
10.ピーピーカーカーレッド信号
11.電気舞
12.かなさウタぬ島





 『プロローグ~伝説の電気島唄の名手、照喜名照美』



満州で育った照美(ロシア名:クララ・テックモア)は女スパイとしてロシアに潜伏し、音響兵器“TERUMI”(テルミンの原型)の開発に携わる。『無音瞬殺』の超音波兵器“TERUMI”は人間の耳に聞こえない周波数の500GHzの超振動波領域(SWフィールド:supersonic waves field)を発生させ、半径2kmの液体を一瞬にして気化させる恐るべき兵器である。照美は1945年、大東亜戦争終結の任務を受け日本本土へ戻る。出生の島沖縄の地上戦で米兵に対して戦力の切り札として、無音瞬殺舞隊(“TERUMI”を操る姿が舞いを踊っている様に見える事から舞隊と呼ばれる)が投入される事になるのだが、無音瞬殺舞隊である事を知った照美の実の祖母である照喜名ウタより「音楽で人を殺めるものではない、音楽は人を活かすものだある」ととがめられ、思いとどまる… 終戦をむかえ、無音瞬殺舞隊として“TERUMI”を使う事はなくなった照美。祖母の照喜名ウタ亡き今、彼女の過去は誰も知らない。出生の地に留まり生まれて始めての普通の暮らしが待っていた。祖母の照喜名ウタの教えを胸に、人を活かすための楽器として“TERUMI”を奏でる事となった。

唯一現存する貴重な『無音瞬殺舞隊HAMACHIDORI』の写真


アメリカ文化を受け入れて…

晩年の照美は若手ミュージシャンとのコラボレーションに精力的だった。89年のピースフルラブロックフェスティバルでは、コンディショングリーンとステージに立ち、64歳とは思えないパフォーマンスで観客を沸かせた。あのレディーガガが「最も影響を受けたアジアのアーティストはテルミよ」と語っている様に、晩年の照美は静かなる狂気を携え、音楽的にも芸術の域に達し、ファッションにおいてもリュウキュウアバンギャルドというジャンルを確立した(83年ドメスティックブランド『テルミテルキナ』で香港コレクションデビュー)。

因に、89年のピースフルにて『テルミwithコンディショングリーン』ステージ終了後、観客の米国人だけが鼻から出血するという騒ぎがあった。

<ライブ曲目>
叫びのオキナワ
チキン・イート・アメリカ
チャイルド・オブ・イノセント
超音波節89'
ロシア仇討ち(アコースティック)
アキユマ
サイレント・スクリーム
<アンコール>
ピーピーカーカーレッド信号



そして映画化

【TELL ME WHY:なぜの嵐】
近頃のエレクトリックブームと、テンペストで再熱している沖縄ブームだが、ハリウッドも注目している様である。クリントイーストウットによる映画化(来年春公開)が決定したのは、あの電気島唄の名手として知られる、照喜名照美の知られざる生き様を描いた問題作。歴史が大きく動いた20世紀、一人の少女が歴史を変えたかも知れない…そんなドキュメンタリータッチのスペクタクル。全編沖縄ロケで、沖縄米軍基地キャンプキンザー内に大掛かりなセットを組んでの撮影だったと言う。照美の奏でる美しいテルミンの音色で、兵隊達が戦意消失するラストシーンはカンヌでも涙で賞賛された。息をのむスパイアクションと、空手、感動と笑いの2D映画、必見!

【主演】
少女期:新垣結衣  熟年期:沢口靖子

【キャスト】
金城武 デビッド・ハッセルホフ 桃井かおり  カヒミ・カリィ ピエール瀧 他

【主題歌・挿入歌】
YELLOW MAGIC ORCHESTRA 上原知子





晩年のドキュメントフィルム






…と、いう架空のミュージシャンをエントリーしてのコンテスト、groove & Loversプレゼンツ スターミュージックアワード☆2011への、僕のエントリー作品(エントリーNo.11)が照喜名照美でした。
皆さん、きよき一票を“いいね”とか“ツイート”を照美によろしく!

本当にいつか『超音波節』を作ってみようと思います。自分自身が照美の音色を聞きたいと思っています。本当は人を瞬殺出来る恐怖の音響兵器が奏でる、至福のヴィンテージエレクトロ…。うっとりするエキゾティシズムです。20世紀、揺れる世界の舞台裏で暗躍した琉球の女スパイという、影のある人物像にもグッと来ています。

他にも僕の知らない電気島唄さーがいるかもしれません。自分も知ってるよ(考えついたよ)って人は、エントリーしてみては?



そして、照喜名照美シーズン2『電子歌姫伝説』へ




2011年7月18日月曜日

モーツアルトとピンクのモーツァルトにみる、デザインとアートの違いと類似

さて、メガ台風が近づいています。そんな最中、久々に落ち着いてタイピングしています。友人からのお題があったので書くとする。

デザインとアートの違いはなんですか?と訊かれたら、何と答えますか?全く違うようで、ほとんど同じ事のようにも感じるので、困ってしまうかも知れません。しかし、僕としてはどちらのビジネスにも関与しているので、明確に答えなければならないなと…。いい機会なので考えをまとめてみたい。

辞書で調べたり、ググればそれで済むと言えばそれまでですが、僕なりの見解を書きます。
先ず、いくつかの要素に分解して考えてみるとわりとつかみやすくなります。以下の要点をごちゃごちゃに考えている人は割と多いのでは?

  • 出力側と入力側の違い
  • マーケットの違い

クリエイション:創造行為という意味においては、アートもデザインも同じ事です。どちらに優越もありませんし、人間の人間たる所以が創造だと思います。

創造とはコミュニケーションの形だとも言えると思います。あえてそう言うのは、クリエイションとは純粋に内なる物事と表現する人が多い気がしたからです。確かにそうですが、相手がいなければ、創る理由がないのでは?それは、アートもデザインも同じです。社会性という人間の本能において、個という概念も相対的に相対する社会があって成り立つとすれば、個もまた社会の一部です。閉じた個だけの内部で完結する創造とは、創造とは言いにくく、無と言った方が正解でしょう。それこそ純粋なコスモスです…ややこしくなりましたね、要は、創造には必ず相手がいるという事(それが自分という相手でも)。すくなくとも僕はそう考えています。

アートもデザインも出力側と入力側があると思います、つまり作る側(供給)と使う側(需要)です。中でも、アートの入力側はほとんど自由で、なんでもありだと思います。アートにおける感じる側、受け手側のアート体験(創造性が連鎖する様な歓喜)感動というのは、必ずしも“アートとして作られた物”を見なければ、アート体験出来ないかといえば、そうでもありません。その人のその時の状態によって、何が感動の引き金になるか分かりません。それは、朝日かも知れないし、満月かも知れない、友人の旅の話かも知れないし、捨てられているゴミに心打たれるかも知れない。そういった意味でのアートはそれぞれの心の持ち様で、自由で無限だと思います。

出力側からすると少し様相が変わってきます。現代社会に生きていて我々は皆、経済活動の中にいます。そこで何かしらのマーケットに対して経済活動を行っています。そういった観点から、デザインのマーケットとアートのマーケットは明確な違いがあります。分かりやすく表現すると、お客さんと取引される対価・付加価値(金銭額)が全然違うのです。社会的立場や法律も違うでしょうし、在処も違います。

そのどちらも、人間にとって必要不可欠で、それを生み出す人の努力や創造性はどれも尊敬に値する物事で、真摯さがないと一流のマーケットでやっていけません。そこで生き抜くには、絶え間ない工夫と過酷な交渉の連続だと容易に想像出来ます。

物の売り買いは、付加価値に対する評価です。だから芸術の評価は、魔術的に高いのです、それは人間を感動足らしめるからです。よく日本人的感覚では、芸術は純粋なもので、売り買いを越えた神聖なものだ…みたいなカワイイ表現が好まれます。確かにそうとも言えますが、それは受け手の感情の話で、ビジネスでは通用しません。価値とは相対的に評価される対象があってはじめて成り立つのです。売ったり買ったりする事は、純然たる生活の一部です。その方法論がアートなのかデザインなのか野球なのか駄菓子屋なのか、選べる我々は本当に幸せです。

アートもデザインもマーケットが違うだけで、ほとんど似ていると思います。僕の中では明確な違いはあえて設けず、グラデーションの様に捉えてイメージしています。まるでアートの様なデザインプロダクトもあれば、デザイン的集団手法で作品を制作するアート集団もいます。ただ、その仕事に対する“執念”や、込める“生き様”みたいなモノが練り込まれているほどに、芸術と呼べる様な怨念が醸造され、醸し出されるのではないでしょうか。

という意味では、人の評価なんぞ関係ねえ!みたいな迫力のある作品や製品に、結果的に魅力を感じ評価を与える…なんて事はよくあります。逆に、モテたいモテたいとべったり寄って来る者は、まったくモテず、評価を得られない。自ら心動く様な仕事でなければ、デザインでもアートでも、魅力は生み出せないでしょう。

現時点で僕にとってのデザインとアートとは、
出力側にとってはマーケットに明確な違いがあり
込める執念や個性に優越はなく
入力側にとってはどちらも同じ感動の種で
創造というコミュニケーションの一種
って事です。

とにかくツクルし、感動したもん勝ちだと思ってます。

モーツアルトの音楽は芸術だな〜って感じるし、α波が出ているのも分かる。でも『ピンクのモーツアルト』は、まじモーツアルトの何百倍も僕の心を動かし、創造性を発動させた。『ピンクのモーツアルト』出力側の意図は大衆音楽のビジネスかも知れないが、入力側の僕にとってはアート体験だったわけだ。ねぇ感じてる?神秘のさざ波のシンフォニー…

よけいに話が混乱したかな。まあ、いつもの事ですので、ご勘弁。

2011年6月11日土曜日

アイコン変わりました



これで、父にも弟にも間違えられんだろう。
でも、この髪型が間違いだったりして…