2011年10月1日土曜日

ずっとこのアイコンを胸に!目標¥100万達成

2011年4月28日からHabuBox(ハブボックス)と浦添工業卒業生『MAMOYA』で行った東日本大震災チャリティー企画『icon-T 2011』が一旦区切りを迎えました、お礼とご報告です。

美浜ウォーターフロントにある新施設『AKARA・アカラ』内にある
AKARAギャラリーで開催した『MAMOYA』の歴代Tシャツのチャリティー展示即売会と、『HabuBox』と『MAMOYA』によるコラボTシャツのチャリティー販売をHabuBox全店で行い、私共の目標である義援金額¥100万円に到達する事が出来ました。





皆さん本当にありがとう!!


【義援金の内訳】
MAMOYA歴代チャリティーTシャツ
総売れ枚数 169枚  義援金 ¥169,000
HabuBox×MAMOYAコラボチャリティーTシャツ
総売れ枚数 1141枚  義援金 ¥900,000

TOTAL枚数 1310枚  総合義援金額 ¥1,069,000









『MAMOYA代表:大城 守 / icon-T 結 デザイナー:与那嶺利菜』


東日本大震災からはや5ヶ月が過ぎ、いまだ様々な問題が残る中、被災地の子どもたちを沖縄へ迎え入れて文化交流をしたりと、
少しずつですが穏やかさも戻りつつあります。
今回、私たちが行ったチャリティーイベント「icon-T 2011」ですが、多くの皆様のご協力のお陰で、目標金額であった100万円に到達致しました。
「icon-T 2011」では、『自分たちのできる「デザイン」と、いう形で、復興へのお役に立てれば。』と、活動してきました。
このひとつの想いが、こんなにも多くの方々と共有できたことを、とても嬉しく思います。
この企画は、私たちだけではなく、たくさんの方々とのつながりを経て実現できたものであり、私たち自身、『デザインすること』だけでなく、
『人の為に行動する』ことの大切さを、改めて強く感じることができました。
ひとつひとつの小さな『想い』が、みんなで協力すれば、こんなにも大きな『想い』に変わるということを肌で感じることができました。
この企画に賛同して下さったHabuboxの名嘉様をはじめとするスタッフの皆様、メディアの皆様、各ショップまで足を運んでいただいた皆様、
関係者の皆様に心から感謝申し上げます。
義援金が無事に被災地で役立ってくれることを祈っております。本当に有難うございました。 





東北岩手出身『icon-T ringo デザイナー:オガサワラチグサ』

雪が降り凍えるような寒さの3月から約半年がたちました。
暑い夏が過ぎ、実りの秋を迎えようとしています。
GWに行われたAKARAギャラリーでの展示販売には残念ながら私は沖縄におらず
立ち会うことはできませんでしたが多くの方が来場し、
このチャリティーに賛同してくれたことを聞き嬉しく思いました。
アイコンTシャツをいつまでも着てもらえたらいいなと思います。
最後になりましたが皆様にご協力いただき本当にありがとうございます。  




『HabuBox  アートディレクター:名嘉太一』

icon-T 2011プロジェクトが目標を達成し、一区切りをむかえる事が出来ました。
このプロジェクトを通して、icon-T(アイコンTシャツ)をお買い上げいただき、支援いただいたお客様全員に感謝の気持ちでいっぱいです。
悲惨な過去は思い出したくないだろうと思いますが、リンゴのアイコンの“笑顔”と結いのアイコンの“縁”は、けして忘れたくない宝です。
今回はこのプロジェクトを通して、社会に対し自らが出来る事、その和、そして行動する事、それをデザインで形にする事、我々は多くの事を学びました。
遠くは慣れた沖縄から、被災地が力強く復興することと、希望に満ちた未来を勝ち取る事を願っています。
これからも、ずっとこのアイコンを胸に…










2011年9月23日金曜日

超音波節:照喜名照美

皆さんはご存知でしょうか?照喜名照美。僕が今もっとも心奪われている電気島唄の照喜名照美とは…



テルミネーネーの愛称で親しまれた照喜名照美の貴重なデビューアルバム『超音波節』。アルコール(泡盛)を燃料に発電し、手を触れずに音を奏でるテルミンは沖縄の大衆の注目の的だった。女性が歌っている様な独特のテルミンの音色は照美の美貌と相まって、特に男性達を魅了した。ソングライターとしても数多くの名曲を残している照美だが、曲のテーマは独特で異国情緒のあるものが多い、稀に民謡や古典のカバーもしていたようである。

【超音波節:照喜名照美】
1.ロシア仇討ち
2.ポリネシアサッサイ
3.宇地泊口説
4.清らさフイリピン
5.超音波節
6.朝鮮小唄
7.支那の夜恋しや
8.ウチナー美兵
9.台湾牛飼い
10.ピーピーカーカーレッド信号
11.電気舞
12.かなさウタぬ島





 『プロローグ~伝説の電気島唄の名手、照喜名照美』



満州で育った照美(ロシア名:クララ・テックモア)は女スパイとしてロシアに潜伏し、音響兵器“TERUMI”(テルミンの原型)の開発に携わる。『無音瞬殺』の超音波兵器“TERUMI”は人間の耳に聞こえない周波数の500GHzの超振動波領域(SWフィールド:supersonic waves field)を発生させ、半径2kmの液体を一瞬にして気化させる恐るべき兵器である。照美は1945年、大東亜戦争終結の任務を受け日本本土へ戻る。出生の島沖縄の地上戦で米兵に対して戦力の切り札として、無音瞬殺舞隊(“TERUMI”を操る姿が舞いを踊っている様に見える事から舞隊と呼ばれる)が投入される事になるのだが、無音瞬殺舞隊である事を知った照美の実の祖母である照喜名ウタより「音楽で人を殺めるものではない、音楽は人を活かすものだある」ととがめられ、思いとどまる… 終戦をむかえ、無音瞬殺舞隊として“TERUMI”を使う事はなくなった照美。祖母の照喜名ウタ亡き今、彼女の過去は誰も知らない。出生の地に留まり生まれて始めての普通の暮らしが待っていた。祖母の照喜名ウタの教えを胸に、人を活かすための楽器として“TERUMI”を奏でる事となった。

唯一現存する貴重な『無音瞬殺舞隊HAMACHIDORI』の写真


アメリカ文化を受け入れて…

晩年の照美は若手ミュージシャンとのコラボレーションに精力的だった。89年のピースフルラブロックフェスティバルでは、コンディショングリーンとステージに立ち、64歳とは思えないパフォーマンスで観客を沸かせた。あのレディーガガが「最も影響を受けたアジアのアーティストはテルミよ」と語っている様に、晩年の照美は静かなる狂気を携え、音楽的にも芸術の域に達し、ファッションにおいてもリュウキュウアバンギャルドというジャンルを確立した(83年ドメスティックブランド『テルミテルキナ』で香港コレクションデビュー)。

因に、89年のピースフルにて『テルミwithコンディショングリーン』ステージ終了後、観客の米国人だけが鼻から出血するという騒ぎがあった。

<ライブ曲目>
叫びのオキナワ
チキン・イート・アメリカ
チャイルド・オブ・イノセント
超音波節89'
ロシア仇討ち(アコースティック)
アキユマ
サイレント・スクリーム
<アンコール>
ピーピーカーカーレッド信号



そして映画化

【TELL ME WHY:なぜの嵐】
近頃のエレクトリックブームと、テンペストで再熱している沖縄ブームだが、ハリウッドも注目している様である。クリントイーストウットによる映画化(来年春公開)が決定したのは、あの電気島唄の名手として知られる、照喜名照美の知られざる生き様を描いた問題作。歴史が大きく動いた20世紀、一人の少女が歴史を変えたかも知れない…そんなドキュメンタリータッチのスペクタクル。全編沖縄ロケで、沖縄米軍基地キャンプキンザー内に大掛かりなセットを組んでの撮影だったと言う。照美の奏でる美しいテルミンの音色で、兵隊達が戦意消失するラストシーンはカンヌでも涙で賞賛された。息をのむスパイアクションと、空手、感動と笑いの2D映画、必見!

【主演】
少女期:新垣結衣  熟年期:沢口靖子

【キャスト】
金城武 デビッド・ハッセルホフ 桃井かおり  カヒミ・カリィ ピエール瀧 他

【主題歌・挿入歌】
YELLOW MAGIC ORCHESTRA 上原知子





晩年のドキュメントフィルム






…と、いう架空のミュージシャンをエントリーしてのコンテスト、groove & Loversプレゼンツ スターミュージックアワード☆2011への、僕のエントリー作品(エントリーNo.11)が照喜名照美でした。
皆さん、きよき一票を“いいね”とか“ツイート”を照美によろしく!

本当にいつか『超音波節』を作ってみようと思います。自分自身が照美の音色を聞きたいと思っています。本当は人を瞬殺出来る恐怖の音響兵器が奏でる、至福のヴィンテージエレクトロ…。うっとりするエキゾティシズムです。20世紀、揺れる世界の舞台裏で暗躍した琉球の女スパイという、影のある人物像にもグッと来ています。

他にも僕の知らない電気島唄さーがいるかもしれません。自分も知ってるよ(考えついたよ)って人は、エントリーしてみては?



そして、照喜名照美シーズン2『電子歌姫伝説』へ




2011年7月18日月曜日

モーツアルトとピンクのモーツァルトにみる、デザインとアートの違いと類似

さて、メガ台風が近づいています。そんな最中、久々に落ち着いてタイピングしています。友人からのお題があったので書くとする。

デザインとアートの違いはなんですか?と訊かれたら、何と答えますか?全く違うようで、ほとんど同じ事のようにも感じるので、困ってしまうかも知れません。しかし、僕としてはどちらのビジネスにも関与しているので、明確に答えなければならないなと…。いい機会なので考えをまとめてみたい。

辞書で調べたり、ググればそれで済むと言えばそれまでですが、僕なりの見解を書きます。
先ず、いくつかの要素に分解して考えてみるとわりとつかみやすくなります。以下の要点をごちゃごちゃに考えている人は割と多いのでは?

  • 出力側と入力側の違い
  • マーケットの違い

クリエイション:創造行為という意味においては、アートもデザインも同じ事です。どちらに優越もありませんし、人間の人間たる所以が創造だと思います。

創造とはコミュニケーションの形だとも言えると思います。あえてそう言うのは、クリエイションとは純粋に内なる物事と表現する人が多い気がしたからです。確かにそうですが、相手がいなければ、創る理由がないのでは?それは、アートもデザインも同じです。社会性という人間の本能において、個という概念も相対的に相対する社会があって成り立つとすれば、個もまた社会の一部です。閉じた個だけの内部で完結する創造とは、創造とは言いにくく、無と言った方が正解でしょう。それこそ純粋なコスモスです…ややこしくなりましたね、要は、創造には必ず相手がいるという事(それが自分という相手でも)。すくなくとも僕はそう考えています。

アートもデザインも出力側と入力側があると思います、つまり作る側(供給)と使う側(需要)です。中でも、アートの入力側はほとんど自由で、なんでもありだと思います。アートにおける感じる側、受け手側のアート体験(創造性が連鎖する様な歓喜)感動というのは、必ずしも“アートとして作られた物”を見なければ、アート体験出来ないかといえば、そうでもありません。その人のその時の状態によって、何が感動の引き金になるか分かりません。それは、朝日かも知れないし、満月かも知れない、友人の旅の話かも知れないし、捨てられているゴミに心打たれるかも知れない。そういった意味でのアートはそれぞれの心の持ち様で、自由で無限だと思います。

出力側からすると少し様相が変わってきます。現代社会に生きていて我々は皆、経済活動の中にいます。そこで何かしらのマーケットに対して経済活動を行っています。そういった観点から、デザインのマーケットとアートのマーケットは明確な違いがあります。分かりやすく表現すると、お客さんと取引される対価・付加価値(金銭額)が全然違うのです。社会的立場や法律も違うでしょうし、在処も違います。

そのどちらも、人間にとって必要不可欠で、それを生み出す人の努力や創造性はどれも尊敬に値する物事で、真摯さがないと一流のマーケットでやっていけません。そこで生き抜くには、絶え間ない工夫と過酷な交渉の連続だと容易に想像出来ます。

物の売り買いは、付加価値に対する評価です。だから芸術の評価は、魔術的に高いのです、それは人間を感動足らしめるからです。よく日本人的感覚では、芸術は純粋なもので、売り買いを越えた神聖なものだ…みたいなカワイイ表現が好まれます。確かにそうとも言えますが、それは受け手の感情の話で、ビジネスでは通用しません。価値とは相対的に評価される対象があってはじめて成り立つのです。売ったり買ったりする事は、純然たる生活の一部です。その方法論がアートなのかデザインなのか野球なのか駄菓子屋なのか、選べる我々は本当に幸せです。

アートもデザインもマーケットが違うだけで、ほとんど似ていると思います。僕の中では明確な違いはあえて設けず、グラデーションの様に捉えてイメージしています。まるでアートの様なデザインプロダクトもあれば、デザイン的集団手法で作品を制作するアート集団もいます。ただ、その仕事に対する“執念”や、込める“生き様”みたいなモノが練り込まれているほどに、芸術と呼べる様な怨念が醸造され、醸し出されるのではないでしょうか。

という意味では、人の評価なんぞ関係ねえ!みたいな迫力のある作品や製品に、結果的に魅力を感じ評価を与える…なんて事はよくあります。逆に、モテたいモテたいとべったり寄って来る者は、まったくモテず、評価を得られない。自ら心動く様な仕事でなければ、デザインでもアートでも、魅力は生み出せないでしょう。

現時点で僕にとってのデザインとアートとは、
出力側にとってはマーケットに明確な違いがあり
込める執念や個性に優越はなく
入力側にとってはどちらも同じ感動の種で
創造というコミュニケーションの一種
って事です。

とにかくツクルし、感動したもん勝ちだと思ってます。

モーツアルトの音楽は芸術だな〜って感じるし、α波が出ているのも分かる。でも『ピンクのモーツアルト』は、まじモーツアルトの何百倍も僕の心を動かし、創造性を発動させた。『ピンクのモーツアルト』出力側の意図は大衆音楽のビジネスかも知れないが、入力側の僕にとってはアート体験だったわけだ。ねぇ感じてる?神秘のさざ波のシンフォニー…

よけいに話が混乱したかな。まあ、いつもの事ですので、ご勘弁。

2011年6月11日土曜日

アイコン変わりました



これで、父にも弟にも間違えられんだろう。
でも、この髪型が間違いだったりして…

2011年5月30日月曜日

“ぽろゆし”が生まれるまで



2009年初め、AKARAの企画である無地のカットソーを考えていたときだった、ある程度企画もまとまって、詰めの段階だったと思う。当時から伸びを見せていたポロシャツだが、自社フルオリジナルの型を一点作ろうという事で、変形襟のポロをデザインしてもらい、サンプルも仕上げ、まあ悪くない感じなのだが、なんかイマイチ気がのらない。結局コスとなどあらゆる面から検討した結果、没になったのだが、夜中までウロウロネットリサーチをしていたとき、ふとアイディアが舞い降りた。

『アロハ柄のポロって面白いな…ぽろゆしってどうかな』

これかっ。この切り口の方がポロの企画として面白い。という感じで少しずつ企画が動き出した。

それから紆余曲折、遂にリリースしましたよ『ぽろゆし』。当初、大手に提案しても全然食いついてくれなかったな〜、でもHabuBoxの強みは製造から販売まで一環して出来る事だから、コツコツ自分たちで実績を作るしかないって事で、とっかかりはLEQUIOSIANレーベルでプリントから縫製までフルHabuBox製でした、つまり日本製。クオリティーは高く、仕上がりはいいのですが売価が高く、ハイエンドなアイテムとしてリリース、当時はそれしか方法がなかったんですが、今回のレギュラーラインはコスト圧縮の為に中国で仕上げています。売価は¥5500(ゴーゴー!)とLEQUIOSIANぽろゆし比べ半分ぐらいに抑えられました。十分な仕上がりです。購入はこちらから是非!


沖縄総柄シャツ文化の起源にHabuBoxがちらついていたかも?って事は前にも触れましたが『ぽろゆし』とは、かりゆしとして定着したオキナワンユニホームカルチャーを、更に前へ押し進めようと考案した物です。アロハシャツの起源にも、少なからず沖縄の移民のミックスカルチャーが潜んでます。その文脈から新たなオキナワンスタイルを生み出すとしたら…

『ぽろゆし』の定義は『沖縄由来のデザインの総柄ポロシャツ』です。総柄ポロってあんまりないんだよね。で、『ぽろゆしスタイル』とは『アクティブビズ&リゾートウェア』で、快活なビジネスシーンやオフのレジャーなどで、カジュアルにインフォーマル(略式服)に機能する“襟もの”。沖縄ならではのシーンとして釣りや、模合などにもハードに対応したいよね。総柄のポロシャツは沖縄のコントラストの強い風景にマッチするし、カノコ素材で汗も乾くし、洗濯も楽。ヨメも喜ぶ?


『ぽろゆし』って覚えやすい。だいたい初耳でもみんな覚えてくれます。この“ちょっとバカバカしい感じ”がイイのだ。でも掘り下げると面白い、案外意味も深まる。ウチナーグチでめでたいとい言う意味の『嘉例吉、嘉例寄:かりゆし』から連想して『微酔い:ほろよい』などの『微:ほろ』と組み合わせると『微吉:ほろよし』⇒『ぽろゆし』となる。なんとなくよい、まあまあよい、とでも言おうか、カジュアルで気楽な感じが、音感に潜んでいる訳さ。

これからは多色柄や、パンツ、フードものなども予定してます、テキスタイルアイテムとしても、どんどん展開を広げて行く予定。お楽しみに!

あ、『ぽろゆし』はHabuBoxの登録商標だから、パクりたい人は連絡下さい(マジで)。僕達は沖縄のムーブメントにしたいわけだから、相談にのるよ。

今、かなりいい調子で売れてます『ぽろゆし』




《ポロゆし関連情報》



ぽりゆし買うならHabuBox









2011年4月25日月曜日

デザインで支援。僕達のicon-T

世に言うクリエーターとは、時に、自分が欲しくもない物を作らねばならない時がある。そういう不幸な事態は極力避けたい。なぜなら、そん物は世の中にとって有害だからだ。要らない物を作り過ぎる時代…でも、けして嫌いではない。害のあるものも必要悪として存在意義はあるし、価値は相対的なものだ。だけど色々と考えてしまう。

チャリティーイベントをやる。はじめ、どうしようかあれこれ考えた。僕は表現とチャリティーを混同したくなかったし、ありとあらゆる衝動的な義援を借りたモーションが稚拙で嘘くさかった。でも知らんぷりしたくない。すがりついて考えたかった、考えろって仲間に言いたかった。なぜチャリティーをやるのか、なぜモノをつくるのか…

“祈り”があるか?!っていったら大袈裟だけど、どうせやるからには、自分が欲しい必要なモノでなければならない。そして誰かに必要とされなければ意味がない。僕達が作ったチャリティーTシャツを誇りに思って着て、どこにだって行ける、被災地にだって。そうでなくては僕は了解しない。それってホントはシンプルなことなんだ。でも奥の方では、密かに、そして強い祈りがある。そんな仲間達。

短い期間だったが、仲間達と考えた。そしてひねり出したデザインは、うんイイ!強いカタチをしている。

なぜデザインするのか、街を、電力を、防波堤を、組織を、建家を、政府を、国を、復興を、Tシャツを…全ては、美しく機能させるためだ、それを持続させるためだ、そしてそれを破壊して、また新たに生まれ続けるための本能。その事こそ、デザインと呼びたい。

僕達には多くの事は出来ない。僕など、ほとんど何も出来ない。ただ、デザインを通し、考え、社会に働きかける事が出来る。そして、身の回りの人を大事にしようと思う。

早く着たいね僕達のicon-T。みんなありがとう。

★皆で考えた軌跡と、icon-Tのストーリーも是非読んで下さい>『icon-T 2011』企画書



東日本大震災チャリティープロジェクト『icon-T 2011』
HabuBox×mamoyaコラボTシャツ展示即売会
場所:AKARA GALLERYアカラギャラリー)】>マップ 
日程:2011年4月28日(木曜)〜5月8日(日曜)
営業:午前10:00〜午後9:00 無休
電話:TEL098-926-2764
駐車場無料

【その1/iconTシャツ販売】
沖縄TシャツブランドHabuBoxと浦添工業デザイン科/卒業制作カリキュラムMAMOYAがそれぞれが今回の為にデザインした「言葉を使わない」icon(アイコン)Tシャツを2,000円で販売。(半額の1,000円を義援金として被災地へ寄付致します)。HabuBox全店で28日より一斉販売開始。


【その2/MAMOYAアーカイブTシャツ販売】
APPLE社とのプロジェクトをはじめ、数々の有名企業などのTシャツを手掛けて各メディアに注目されてきたMAMOYAの貴重なサンプル資料であるTシャツ150点(各1点物)を1,000円で販売(売上金すべてを義援金として被災地へ寄付致します)AKARA GALLERYにて5月8日(日)まで。


ずっと持っていたい、誇らしいファッション。デザインで支援。

2011年3月20日日曜日

思う事

大変な事件があった。漫画か映画を見ているかの様な、現実離れした惨事に世界中が心を痛めています。東日本大震災から一週間、自分自身を見つめ直す機会をいただけました。その色々と思った事を書こうと思います。

震災の日、打合せの最中エリさんのメールとツイッターで津波の情報を知った。まさかと思い、JANOSZから望む海を見てみる、穏やかな沖縄の海。しばらくし、打合せが終わってから事の重大さを知りました。

僕はかつての阪神淡路大震災の時を思い出しました、当時付き合い始めの僕とエリさんは遠距離で、エリさんは大阪、僕は東京で暮らしていた。そして起こった震災。成人式をすませて東京の日常に戻ったばかりの僕は、エリさんや友人が多く住む大阪での不運な出来事に、まさかと信じられない思いでした。ニュースの報道で次第に死者が増えて行く中、電話も繋がらず、不安を抱えたまま仕事をしていたのを覚えています。

もちろんエリさんも友人達も無事でしたが、ケイタイもない時代、何度テレフォンカードを公衆電話で抜き差ししたことか…。

今回の東日本大震災は、TVや新聞ラジオのニュースよりネット上の情報網でその事を知りました。僕等は、どちらかと言うと日常的にウェブで情報を得ている方かも知れませんが、後の報道でもツイッター、スカイプなどが災害の情報確認や安否確認に役立ったと聞きます。実際、東京の知人友人との連絡はツイッターでした。

要美憂さんへの募金やチャリティーの広まりの時も、同様の波及性の力強さを感じました。

震災で情報が乱れ交う数日間、日本人賛歌や反対に買占めや、混乱に乗じた詐欺など批判もありましたね。あらゆる人の、なにか自分に出来ることはないかとのつぶやきや、無数のリツイートが溢れていました。さて、僕が出来ることと言えば、募金と自分を見つめ直す事ぐらいでした。人は、もし自分だったら、自分の身に起こったらと想像するのだと思います。そして、想像に役だつのは実際の経験です。自分の痛みを相手に置き換えて想像する…

だから大阪で震災にあったエリさんは、人一倍地震を怖がるし、今回の震災にも過敏だったし、被災者への心配も他人事ではない様でした。

僕はちょっと違って、エリさんが若年性脳梗塞で倒れた時の不安と恐怖がよみがえるんです。大事な人を失うんじゃないか、そんな恐怖を本当に味わった経験に重ねて、被災で家族を失った人に対し、いたたまれぬ思いです。要美憂さんへのエールも同じで、痛みを負った経験から来るものです。それぞれ困難に直面している人達に対し、この困難に負けずに幸せな未来を勝ち取ってほしいと強く願います。

人はやはり主観で生きています。全て個人の出来事なのです。この何万人の死よりも何倍も悲しい、個人の出来事がそれぞれにあっても不思議ではないと思います。

今、僕自身に出来る事と言えば募金ぐらいですが、真の意味で復興義援は、税金を上げるしかないでしょう。ベストはやはり短期的な消費税アップだと思います。日本の生産性と経済循環を向上させることで義援するのだ!という、強い結束心を燃やすチャンスだとさえ思います。国債発行は絶対にダメです。

だからやはり僕は、自分の出来事として、自分の仕事を高めるべきだと思いました。

それと、先にも触れたネットの力も再認識したのですが、もういい加減ホワイトスペースの電波を開放し、人々を救う情報のインフラを世界一にしてほしいと、あらためて強く思いました。有用に使える電波帯域があるにもかかわらず、マラソン中継専用に大事にとってあるという…という事実を知らないことも知らない人がほとんどだろう。旧世界の利権者は下がってもらって、どこでも誰でもネットにつながることが、これからの社会保証なんじゃないか。災害時にパンクしてしまうケイタイの仕組みなど役に立たない。地デジなどとナンセンスな祭り事はやめて、どんな地震や津波、災害にも負けない最強の無線ネットインフラを希望する。本当は日本は出来るはずなのに…

それから原子力。なぜあんなに何機も密集しているのか?そして東電に代わる企業もなく首都圏も麻痺、このような一局集中型の思想は危険なんじゃないか。電力は電線を使って届けられるが、その50%近くが熱エネルギーになる。せっかく作った電気も半分は無駄になるということ。そのことから考えても、電線を張り巡らせてのターミナル型の発電思想はもう終わりにして、小型の発電ユニットが分散する形、街やコミュニティレベルで発電出来る事が、新たなエネルギー社会の在り方として望ましい。そして極論は自家発電だろう。

これは組織の在り方へも当てはめてもいい思想かもしれない。電線と同じ様に、伝えるだけの事に、半分のエネルギーが無駄に消費されている気がしてならない。最小にして最大の単位がユニット状に組み合わさる新たな仕組みを、自らを実験場にして試みているところです。

僕に出来る事…チャリティーライブ?う〜ん違うな。医者の格好が不謹慎って言われるだろうが、それ以前に、表現活動とはあまり混同したいくないんだよね。どっちもぼける気がするな。それより、今このようにブログ記事を書く事だったりするのかな。

エリさんが倒れた時も、ネットの情報にいっぱい助けられた。だから若年性脳梗塞のブログをエリさんは立ち上げた、見ず知らずの誰かのネット情報に助けられたから、その恩返しのつもりだ。元気なエリさんの姿を見て誰かが勇気づけられたりしたら、それこそこっちの勇気が沸き上がる。

身近な人に思いを伝えよう。事件が起こってからでは遅いけど、遅くなったって今すぐに。

世界中の身近な人のために…

2011年2月21日月曜日

沖縄柄シャツ文化のルーツ

かりゆしウェアって着る?

僕はちょっとかしこまった仕事の時に着るかな。着ると言っても、自分等でデザインした"デザインシャツ"だから、いわゆるかりゆしウェアではないな。

そもそも、制服は好きじゃない。沖縄の柄シャツ制服ってリクルートよりハデな感じだけど、制服化したら結局誰の個性も引き立たないよね。ハデだけど目立たない…それって不思議だね。

ハワイのアロハ文化のお手本はいいけど、それを超える"度が過ぎる何か"が必要に思う。本物を超えるオリジナリティー。

(そもそものアロハシャツのルーツにウチナー移民の文化は関与してるんだよ。だから誰がオリジンかは分からなくなる。オリジナリティーって、度を超えた組み合わせの妙ってこと。そう考えるようにしている。)

いま、僕達はそれに挑戦してるよ"度が過ぎる何か"。いまに新しいムーブメントが来るはずよ〜。お楽しみに。

さて、それはそうと、かりゆしなどに見る沖縄柄シャツ文化のルーツにHabuBoxが絡んでいる知ってた?昔、ボンネン達がバリバリ製品企画をやっていた頃(80年代後半)アロハシャツに擬えてカーリーシャツというウチナーシャツを提唱した事があった。“かりゆし”シャツの前進の“沖縄シャツ”が出る更に前の事だから、先駆的だね。柄はステンシルにエアブラシで吹き付け染めだった、あまりクオリティーは良くなかったけどインパクトがあって子供心に良く覚えている。カーリーとは、めでたいという意味の嘉例吉:カリユシや、乾杯の時に言うウチナーの嘉例:カリーから来ている。「愛、慈しみ、感謝、平静、共感」との意味をもつ"アロハ"のウチナー版ってこと。

当時のHabuBoxは工房も小さく、カーリーシャツは結局定番にはならなかったし、歴史として語られる事もないけど、僕は体験的に父達を見て覚えている。かりゆし筆頭にした沖縄柄シャツ文化に、もしかしたら何かしら影響は与えていたかもしれないね。時代の気分を先取りして、いつも斬新で普遍的なデザインコンセプトを提案していた先輩達を見習いたい。

僕達は、顧客の個性の手助けを常に考えている。たとえ制服としてファッションが記号化しても、どこか自分らしくいてほしい。

カリーなファッションを作ろう。

2011年2月19日土曜日

オヤコラボ

〝もしも、今なおリュウキュウが、世界の海を旅する海遊の民だったら〟
という幻想を元にLEQUIOSIAN:レキオシアンというブランドに取り組んでいる。伝統への執着や逃避ではなく、今のナマの風土を創造しようという、野心的な取り組みです。

海に生き世界中の港に赴き、未知の文化に触れ、持ち帰る。どうにか自分の物にしようと、迷い、悩み、挑む。その繰り返し…。幻想の海遊民LEQUIOSIAN:レキオシアンとはそんな人達だろうか。

そんな事で、LEQUIOSIAN:レキオシアンというブランドは実に素直にモノづくりをしている。今なお沖縄に吹くモンスーン、それはかつての琉球人達のエンジン。その風にイメージを乗せて、何にもとらわれずに流れ続けるのだ。そうありたいね。

しいて沖縄をしなくても、僕たちはそのままで既に沖縄だよね。

そういった意味で、全く沖縄になぞらえない〝オキナワノカタチ〟をしているなあ。うん、頑張っている。

ボクネンの新柄が上がった。イイねぇ。作家でありデザイナーであり…というかそのナンセンスな括りを平気で蹴散らして。最適なモノを生み出してくれること。

サスガだな~

新しい柄。興奮するね。柄も興奮しているね。さて、どんなして広がるのか、どんな風が吹くのか。身を任せよう。

さあ、まだ肌寒い春の風に乗って、新しい旅へ漕ぎ出すぞ。

2011年2月3日木曜日

カラビサとカラビサソックス



今日はカラビサのジャケットの打合せでした。HabuBoxのカラビサソックスと同じネーミングという事で繋がった縁。

カラビサソックスとは…
カラ(空)ビサ(脚、足)=裸足の沖縄口。裸足みたいに見える靴下です。指先が開いた5本指ソックスで、日本で売っている所はほとんどない珍しいアイテム。と云うのも製造特許業社と作っているんですよ。汗掻きな僕はサンダルを裸足で履きたいけど汗で中敷が気持ち悪い…そんなニーズから企画した沖縄ならではの商品です。
裸足の様に見えて衛生的でお洒落
そんな夢のソックス。AKARAで販売しているTATAMIとのコーディネートはもちろん、冷え性の人やダンスをやっている人など、それぞれの独特なニーズに答えてファンが増えてきてます。

カラビサの2人は裸足で舞台や地面を踏みしめて歌います。エキゾチックでどドラマティックな楽曲を聞いていると、何だか本人達が大きく見えます。

そんな2人のアルバムジャケットとステージのスタイリングをLEQUIOSIAN:レキオシアンでタイアップする事になりました。もちろんカラビサソックスも。

アルバムは4月発売です。
楽しみですね。

2011年1月24日月曜日

カイナに出ます

<HABUBOX HANDWORKSのロゴ。手作りの証。>

<A4サイズ、B4サイズのトート。サンプルだよ。>


今週の29日(土)30日(日)はカイナアートフェスタです。
今年はHabuBoxで企画した
ハンドメイドのトートバックでエントリーします。
ボクネンもテキスタイルデザインで参加。
そのアバンギャルドぶりはインディーに負けてませんよ。
その他にもHBのデザイナー達が手掛けた
ユニークな柄のトートバックがあります。
当日は僕達も、HBのクラフトマンもデザイナーも居るので、
クリエイターの皆さんと交流出来たらと思います。

あと、本日はOTVのまーさん堂
カイナ主催のさーわーさんと仲宗根さんが出ます。
2人あってのカイナだからね。

だーだー見てみようね〜


    カイナvol.9

日時:2011年1月29日(土)、30(日)

午後12:00〜午後8;30まで(最終日午後7:30まで)
場所:沖縄市多目的運動場 コザ運動公園内 

駐車場あり(駐車場午後10時閉)
テーマ:「たね、原点」

当日は飲食の出店もあります


2011年1月17日月曜日

陰気挨拶と陽気挨拶

ツイートでもよくさえずってますが、よくスタバで打合せします。陶工時代はとてもじゃないけど、デーダカー(高級)でマックしか行かなかったけど今ではよく使っています。
お金の問題というより、落ち着いて時間を過ごせるというのが大きいかな。

みなさんもよく知っているかと思いますが、スタバは『印象度』を上げるために「おはようございます・こんにちは・こんばんは」で挨拶しています。その理由は『家に帰った様な親近感を与える』というコンセプトがあるのと「いらっしゃいませ」と言われると、お客さんは言葉を返す事が出来ないからです。それと、お客さんからのレスポンスがあると、コミュニケーションを取れる可能性が高まるわけです。

スタバの真似をした訳ではありませんが『形骸化して心のこもっていない「らっしぁせ」』という掛声が苦手なので(特に、すれ違い様に「しゃぁせ」と小声で言うのは最悪)それを自分がやる訳に行かず、実際に僕が「おはようございます・こんにちは・こんばんは」で接客したところ、多くのお客さんが挨拶を返してくれます。それはお客さんとの距離を縮めることでもあります。

皆さん今一度、挨拶を見直してみましょう。“もてなし”や“ねぎらい”が形骸化していませんか?

それと「お疲れさま」という陰気挨拶(勝手にネーミングしたネガティブ指向挨拶の事)をやめようと思います。だいぶ使ってはいませんが、つい流されていました。今年は徹底しようと決めました。実際「ご苦労」とか「お疲れ」とか目下の者につかう皮肉った言葉から来ているらしいです。その日会ったとたんに「お疲れさま」言われて思う事があります。

オレはまだ疲れていない!

その代わりに「おはようございます・こんにちは・こんばんは」を使うのですが、「今日は○○ですね」の○○が略されているのは、いかにもジャパンな曖昧さがあります。他国に比べれれば、ポジティブさに欠けるかも知れませんが、この“大喜利感”は以外と乙だなと思います。いい意味で言い切らず、相手への問いかけとしてレスポンスを期待出来る。ジャパンらしい陽気挨拶です。

モノづくり、すなわち客商売です。ご縁に感謝して、陽気挨拶運動を励行して行きたいと思います!


2011年1月16日日曜日

新年会


【パイプニットの素敵な女性スタッフの皆さん】

『パイプ印のパンツ』で知る人も多いかな、
パイプニットさんとHabuBoxは
30年近くの親しい付き合いです。
パイプニットさんと新年会。

HabuBoxの和柄やトライバル系の
縫製前ボディープリントは、
HabuBoxでシルクスクリーンプリントをして、
パイプニットさんで縫製して仕上げます。
仕上がりの良さとタフさは地元の顧客にもとても人気。

しかし、中国製のTシャツが多数占めるのも事実。
ここ15年ぐらいで急速に
中国製のTシャツの質、価格が
アメリカ製を追い越して来た。
そんな時代が激しく変化する中でも、
メイドインジャパンとしてのクオリティーは
変わる事なくブランドの付加価値を支えてきました。

更に時代は動いていて、
世界の生産工場としての中国から
観光客としての中国に変わりつつある中、
彼らが求めるメイドインジャパンとして、
見直されて来ています。
大量消費時代を終えた日本人も、
同じく価値を再構築しはじめた
メイドインジャパン。

その品質と信頼を支えて来た
パイプニットさんと今年もまたカットソーを中心に企画して行きます。

まだまだこの島には良い製造業の手が残っています。
メイドインオキナワ、そして
パイプ印のパイプニット!
今年はどんどんアピールして行きたいと思います。

2011年1月6日木曜日

初詣


波上宮でぇす。

誰よりもロングなうーとーとぅの

エリさん


今取り組んでいるブランドの

LEQUIOSIAN:レキオシアンでコーディネート

  • リバーシブルネックウォーマー
  • コートシャツ
  • 2ウェイトートバッグ


島常賀のシーサーは抜群!

ザ・オキナワ




新年の挨拶

あけましておめでとうございます。
今年も沢山の年賀状頂きました
ありがとうございます。

毎年こちんだは年賀状の代わりに
寒中見舞いで新年の挨拶やってます。

本来寒中見舞いでは干支の表現は
使っちゃいかんのですが
手描きの干支イラストを描いてます。

今年はエリさんが描く番ですが
どんなんなるかなぁ。